センセーカンコクヤチューゴクキライナンデスカ??






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2006年06月24日(Sat)
センセーカンコクヤチューゴクキライナンデスカ??
よく、オイラは、ブログやら授業やらで「韓国は、異国の文化を平気でパクって我が物顔をして最悪だ」とか「中国はパクるし、日本での中国人による凶悪犯罪が絶えないし最悪だ」とか言ってます。
そうすると、生徒や友達が聞いてくるんです。
「ゆうきちさん、韓国や中国嫌いなんですか?」


ここで誤解しないでもらいたいのは、韓国や中国と同様に、日本もアメリカも嫌いですね。
そして、オイラは、一般的に、個人的に、付き合っている外国人は決して嫌いではありません。
いわゆる、政府としての、国家としての、韓国、中国、日本、アメリカがキライなんです。
つまりどういうことかといえば、人間としての他国民は嫌いじゃありません。だって、人間同士ですし、同じ国民同士ですら好きも嫌いもあるわけですから、そういう意味で、決して韓国人だから、中国人だから、日本人だから、っていうもので判断はしませんし、むしろ友好的になるべきだと思っています。
しかし、一方の国家としてみた場合、あるいは特定の団体において、ソレに対しては激しく嫌悪感を抱くことがあります。
外交政策として、アメリカにこびへつらい、自己主張をナカナカ示さない、そして、永木にまかれろ的な立場の日本政府に対して不満があります。
逆に、自国が世界で一番だ、全てのものは我々が生み出したのだ、とするような韓国政府にも好きになれません。
そして、世界をまとめていて、世界をまとめているのは我々だとするアメリカも好きにはなれません。

あくまでも、これは一般的に言われているイメージですが、この一般的に言われているような部分が正直言って気に食わないだけです。もちろん、政治の難しさはここにあって、他国と仲良くすれば、自国の利益を損ない、自国の利益を追求すれば他国と疎遠になる。このような状況があるので、一概にアーダコーダは言えません。
細かい部分や、大人の事情も踏まえて、それでもなお、一般的に言われているようなイメージと同様に、国家としての、韓国や中国そして、日本やアメリカが大嫌いなんです。

じゃぁ、なぜそこまでいうのかといえば、国民性とかもありますが、その国民性を養うのは国家の政策による教育が大きいのです。

そこで、あまりにも、中立的ではなく、偏重的な、偏見に満ちた教育をしている国が信用できないということなのです。
もちろん、日本もごたぶんにもれず、臭い物には蓋をしてきています。

オイラは幸いとして、社会科や国語科、英語科などを専門としているのですが、明らかに日本の教育は偏っているといえます。
学校の先生にしても、そういう部分が見えてきます。
例えば、反戦というキーワードをもとに行き過ぎた自虐的なイベントの数々などですね。
もっと、具体的にいえば、行き過ぎた大東亜戦争へのアジテーション(煽動)などですね。
その当時の社会の風潮や、状況をちゃんと説明しないまま、「戦争は悪です」「日本は多くのアジア諸国に迷惑をかけました」などと言ってしまうのですね。
それを、右向け右的に、つまり、反省すべき当時の状況と同じように、画一的にそのことのみしか教えないのです。
すると、どうでしょうか?感受性の強い子供ですから、三つ子の魂百までといわれるように、「あぁ、日本は悪いことをし続けてきたからアジア諸国に恨まれるんだな。反省しないとな。あ、韓国人が怒ってるや。謝っておこう。中国人がすごい目でにらんできている。こっちが悪いんだし仕方ないよね」ってな具合になっている現実があるんです。
それが、例えば、社会の授業で、歴史を学ぶ上でそうなるだけならいざ知らず、他の国語、英語においても、わざわざそのことに触れている文章が教科書に載っているのです。

たしかに、自国の歴史を学ぶ上で色々と諸説あるのは一貫性がありませんが、ですが、そういう風に指導することで、もっと大事な何かを失っていやしませんでしょうか?

オイラがいいたいのは、ズバリこう言うことです。歴史というものは、決して一つではなく、立場や見方を変えれば大きく変わるものだということです。
そして、教育というものは、自分が自らの判断で取捨選択できるようにすべきだということです。

これは何も文系科目だけには限りません。

例えば、算数で1+1=2だとならいました。はたして本当に1+1=2なんでしょうか?
1円足す1円は2円ですが、1つのパンと1本のソーセージで1つのホットドッグですよね。つまり、このように、基本は大事ですが、ソレを使って応用的に、多角的に、多面的物事を見れるように教育しなければならないのです。

単純に「1+1=2です」と教えるだけで、そして、教科書以外は教育ではない、というような指導ではただの扱いやすいロボットを作っているに過ぎないのです。

ですから、教科書のない授業、そして、実生活に必要な知識、さらにはそれを元に心理を突き詰めていくための知恵をさずけるような教育が必要不可欠だとおもうのです。

しかし、残念ながらそれをする教師は「まともではない」とレッテルを貼られ、非常に活動がしにくくなるのです。
こどもたちを、ただの事務処理能力の高さを鍛え上げるための調教という状況なのです。
ただ、せめてもの救いは、最近では大分意識の改革がはかられ、私立学校を中心に変革がもたらされています。

さて、話は戻って、これは我国日本の話しですが、お隣韓国や中国ではどうでしょうか?
これは、日本以上にひどいものです。
日本以上に、国家に対する偏重的な教育が行われているのです。
それはまさに、国家の構成員としての国民を作り上げているに過ぎず、それは結局のところ、グローバリズムの流れからかけ離れた、むしろ国家のエゴによるものになっています。

これは、究極的に考えた場合、「世界平和」から大きく逸脱したものにならないでしょうか?

こう考えた場合、とっても難しいことのように聞こえますが、根本的な世界平和の確立を阻害する障害に過ぎないでしょう。

ですから、オイラは、国家としての、韓国、中国、日本、アメリカなどは大嫌いですが、人としての彼らは、決して嫌いなわけではありません。

ですから、たとえ、今後オイラが出会う人が、韓国人だろうが、中国人だろうが、日本人だろうが、アメリカ人だろうが、フランスだろうがタイだろうが、フィリピンだろうがニュージーランドだろうが、ロシアだろうがなんだろうが、一人の人間として接するわけであり、彼らの属する国籍がなんであろうと、それが原因で、差別や、偏見をもって接することはありません。
もちろん、過去においても、今現在も、そのように思っています。

たぶん、これはオイラの育ってきた環境がそうさせたのかもしれませんね。

幼い頃、イギリスに住んでおり、通っていたカソリックの学校では、イギリス人のほか、中国人、インド人、パキスタン人、アメリカ人、アイルランド人、その他多くの人種に囲まれて育ちました。
もちろん、人種や、肌の色、国籍だけでイジメなんかもなかったわけではありません。
が、そこで学んだことは、友達は友達なんだっていうことですね。

結局は、国家という触媒を介す事により、争いごとが起きているのだから、一筋縄にいかないのですね。
こどものときは、お互いがこどもであるため、いつまで経っても友達は友達なんですよね。
変に、知識や知恵をつけることで、つまらない争いやいざこざが起こるのですね。

これで、なんとなくわかってもらえたカナ?


   


ようこそ2000GT Twinturboへ
ゆうきちのぶろぐ第2弾です。

かつてのNeverおよびCURURUってのが使い勝手が悪すぎるので移転しました。
あちらあちらで残しておきますね。


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