エディ・ゲレロに思いを寄せて






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2005年11月23日(Wed)
エディ・ゲレロに思いを寄せて
14日の昼過ぎ、何気なく立ち寄った駅のキオスクで目を疑うようなコピーが。
「E・ゲレロ死去」
東スポのコピーである。
『はぃ?なぜエディが?また東スポのネタか』と思い込みながらも、恐る恐る新聞に手を伸ばし購入。
志村けん死亡説並のゴシップ紙だけにまさに恐る恐る手を伸ばした。
また、WWEという団体自体、エンターテイメントを軸にしたプロレスであるために、次のレッスルマニアへ向けてのネタフリじゃなかろうかと邪推しながら。
すると最終面に「エディ・ゲレロがミネソタ州ミネアポリスのホテルの自室にて死亡しているのが・・・」と。
そのほか詳しい説明が載っているわけでもなく、事の真偽がにわかに信じられない。
そこで2ちゃんのプ板にアクセスしてみると、そこには「エディ・ゲレロ死去その2」のスレが。
過去ログをあさり、他スレにも目を通し、ニュー速など他の板にも行くが、エディのスレが乱立してあった。やはり、死んでいたのは事実のようだった。
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そして、エディの死後1週間たった現在でも、なお『死んでしまった』と思う自分と『まさかエディが』とその死を受け入れられない自分がここにある。
一介のプロレスラーに対し、その死に向かい、ここまで深い哀悼の念に駆られるとは思いもしなかった。
昨年、オイラの親父が他界した。そのときの衝撃はさらなることだが、半ばそれに近い感情である。
ふと目を閉じると、今でも親父の笑顔が思い浮かぶ。それと同じように、エディの笑顔もまた。
実の父親に対しそのような思いになるのはごく当たり前のことだが、面識もなく、まったくの赤の他人のエディに対し、ここまで衝撃を受けるのには自分自身でも驚いている。
こんな気持ちになるのはいつの日以来だろうか?
そういえば、中学時代に目撃したF1レーサー、アイルトン・セナの死と同じような感覚を覚える。
それを上回るような衝撃だ。
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ここでエディ・ゲレロを知らない人のために簡単に説明をしたいと思う。
彼はレスラーでありながら、激しい真っ向勝負のレスリングすると言うタイプではなく、むしろ芸人に近いコミカルなキャラクターで、それでいて、抜群なレスリングセンスを持っており、リングの裏では敬虔なクリスチャンであることで知られていた。
そのレスリングにおいては、いわば、ドリフターズの志村けんそのもののような動きで、観客にバレバレの反則をしつつ、勝利を掠め取ったりと笑いをとるベビーフェイス(善役)とともに、その反面、残酷で無慈悲なヒール(悪役)をこなす、まさにオールマイティなレスラーであった。

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彼は、アメリカとメキシコ国境に程近い、テキサス州エルパソ出身のメキシコ系アメリカ人。
自宅ではスペイン語、学校では英語を話す、典型的なチカーノの一家の4男坊として育っていた。他の人と違うのは、一家がゲレロ家ということ。つまり、プロレスラー一家であった。父、ゴリー・ゲレロ、兄弟もすべからくレスラーとして、日本でも活躍したチャボもいた。しかし、他の兄弟とは年齢が離れており、エディが本格的にレスリングを始めた頃には兄弟たちは一線を離れていた。
エディの兄にあたるチャボの息子、チャボ・ゲレロJrとは、叔父と甥の関係でありながら、3歳しか歳が離れておらず、むしろこちらが本当の兄弟のようにいつも接していた。
1987年にプロレスデビューをして以来、90年代初頭には新日本プロレスに参戦し、2代目ブラックタイガーとして参戦していたことが有名で、ペガサス・キッド(ワイルド・ペガサス=クリス・ベノワ)や獣神サンダー・ライガー、金本らと新日本Jrを盛り上げていた。
その直後、90年代中ごろにはアメリカの最大インディECWマットに上がり、そこを経て、当時アメリカ2大メジャーのWCWで活躍をした。
その後、2000年にWWF(現WWE)に移籍をし、当時「なんでもあり」の路線だったWWFで、女子レスラーとの恋愛をスキットをこなしつつ、「ずるしていただき」のスタイルが確立される。
しかし、度重なる、ドラッグ問題や、過度のアルコール依存症で2001年には、事故を起こし、団体を解雇され、家族との別離を余儀なくされることとなり人生のドロップアウトを経験した。
そこで、アメリカ・インディ団体を転々とし、中毒を克服し、2002年にWWEに復帰をすることとなった。
そこで、甥のチャボ・ゲレロJrとロス・ゲレロズとして、「騙して、ずるして、盗み取れ(Lie Cheat Steal)」というゲレロ家家訓をキャッチに、コミカルでいて、テクニカルなレスリングを展開し、WWEで一躍トップに躍り出た。
その後、2004年に当時スマックダウン、WWE王者のブロック・レズナーをPPV「NO WAY OUT」にて破り、WWE王者に君臨をし、同年のレッスルマニア20で防衛を果たし、盟友のクリス・ベノワがRAWの世界ヘビー級王者を獲得し、ともにその喜びをリング上で爆発させ抱擁したシーンは虚構の中の現実としてレスリング界の歴史の一ページにファンの心に刻まれた。
しかし、ファンを虜にするその一方、本人はヒールとしての立場を望むとともに、王者のプレッシャーに対し苦悩をし、昨年JBLにタイトルを奪われると、今年に入り、ヒールのエディを展開していった。
この一連の流れは、クルーザー級のアイドル的存在だったレイ・ミステリオをヘビー級に転向させるためのスキットであることがベースにあったが、その設定に少々無理があり、ファンの要望もあって、10月に入ってからはベビーターンをした矢先であった。
また、現スマックダウン王者のバティスタの怪我による長期離脱で、次期王者として、ランディ・オートンとともに、エディ・ゲレロも王者を獲ることへの意欲をマクマホン一家に伝えたばかりであったという。

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いまだなお、追悼番組をみていても、エディがひょっこりと「お前らみんな騙されてるってぇの」と言いながら笑顔で出てくるんじゃないかと悲しい期待をしてしまう。

エディ・・・ありがとう。
永遠に僕らの心の中で生きてください。

そしてRest in peace...


   


ようこそ2000GT Twinturboへ
ゆうきちのぶろぐ第2弾です。

かつてのNeverおよびCURURUってのが使い勝手が悪すぎるので移転しました。
あちらあちらで残しておきますね。


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